徳島市名誉市民 瀬戸内寂聴さん
最終更新日:2021年11月12日
徳島市では、市民または本市に出生した人で、社会文化の進展に著しく貢献した人に対して、徳島市名誉市民の称号を贈り、その功績を表彰しています。
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう)さん=京都市右京区=は、4人目の名誉市民です。
寂聴さんの軌跡(内容は名誉市民の称号をお贈りした時点)
瀬戸内寂聴さんは大正11年5月、徳島市塀裏町(現・幸町)に生まれ、県立徳島高等女学校(現・城東高校)を経て、東京女子大学を卒業。
昭和32年「女子大生・曲愛玲」で第3回新潮社同人雑誌賞、36年「田村俊子」で第1回田村俊子賞、38年「夏の終り」で第2回女流文学賞を受賞。「かの子撩乱」「美は乱調にあり」「遠い声」など伝記小説で、文壇での独自の地位を固めました。
平成4年「花に問え」で第28回谷崎潤一郎賞、8年「白道」で第46回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
また、平成6年に徳島県文化賞、9年には、長年の文芸活動が評価され、文化功労者に選ばれました。10年、NHK教育テレビの人間大学「源氏物語の女性たち」で、第49回日本放送協会放送文化賞を受賞しました。
一方、昭和48年に、平泉・中尊寺で得度・受戒、比叡山で修行。京都・嵯峨野に寂庵を構え、60年、修行道場嵯峨野僧伽を開きました。62年、岩手県の天台寺住職に就任。法話、坐禅の会、写経の会など宗教活動にも取り組んでいます。
昭和54年、徳島市中央公民館・図書館の建設にあたり、多額の私財を寄付。このことによって、徳島市市政功労者に選ばれました。また、徳島市内で「寂聴塾」を開いて塾生を指導し、郷土における文学の振興に貢献。この間の昭和56年には、第17回徳島新聞賞文化賞を受賞しました。
名誉市民に選ばれて
この度は思いがけなく、徳島市名誉市民の栄誉を授り、有難く感謝申し上げます。
大正11年5月15日、徳島に生まれてこの方、美しい故郷の山河に育まれ、実に幸福な幼年時代、少女時代を送りました。
18歳で県立徳島高等女学校を卒業して、東京女子大へ勉学のため故郷を出て以来、たまにしか帰郷する日もありませんでしたが、私の胸中には、常になだらかな眉山の姿が想い描かれ、美しい吉野川の流れが、清冽な川音をたてて、流れつづけておりました。
生涯の目的を文学と定めてからは、さまざまなけわしい山坂を登りつづけましたが、今振り返ると、自分の築いてきた文学の山脈の全容に感慨を禁じ得ません。
新21世紀の初頭より、瀬戸内寂聴文学全集20巻が新潮社より刊行されることになり、日夜その校正の作業に追われている折柄、このような嬉しい報をいただいたことは、文学全集の前途を祝福されたようで、いっそうの有難さを感じます。
思えば寂聴塾、徳島塾を開いたことで、いささかの故郷への報恩をさせていただいたとはいえ、故郷の山河や人々から、この一身に受けた御恩の深さ、高さを思えば、いっそう報恩の道に励まなければ思っています。
ありがとうございました。
(平成12年10月1日発行「広報とくしま」より転載)
関連リンク
徳島県立文学書道館(外部サイト) 瀬戸内寂聴さんの人生をたどる記念室などを見ることができます。
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